髙野家歴史
【髙野亮三】
戦後、進駐軍関係の冷蔵庫や冷凍庫の修理を請け負いながら、技術を取得。
故障したアイスキャンディー機を修理し、冷蔵能力のテストでキャンディーを作り販売するも、余ったキャンディーを夜間に近所に配るため、それを見越されて日中は売れなかったというエピソードがある。
取得した技術をもとに業務用保冷庫の設備施工を始める。
昭和20年代には大型のパッケージエアコンが業務用の大型冷蔵庫などが製品化されてはいたが高額なため、町場ではタイルで箱を作り、配管し冷媒ガスを使った手作り感溢れる冷凍冷蔵庫が作られた(写真:亮三製作の業務用冷凍冷蔵庫)。
工事店としてスタートし、工事に必要な部材を在庫していたところ、同業者から分けて欲しいという依頼が入るようになり、昭和25年に住まいの1階を土間にし『高野商店』の営業を妻サトによって開始した。
【昭和30年~40年代の動き】
崎陽軒が横浜駅東口に本店を構える時に、それまで使っていたアンモニア冷媒からフロンガス冷媒に替えることをアドバイスし、厨房の冷凍冷蔵庫、コールドテーブルなど設備施工を一手に任されることになり、その後、五反田工場、昭和45年開業の戸塚のレストラン太陽(タイアン)、駅売店などの厨房機器やショーケースなどの設備施工・メンテナンス工事を行った。
昭和32年、中小冷凍空調設備業者の事業発展と親睦を目的に任意の組合が作られるにあたって尽力した。
35年に神奈川県冷凍機工業組合(現:神奈川県冷凍空調設備協同組合)が神奈川県の認可法人となるにあたっては出資者の一人として名を連ね、第1期から第3期まで専務理事として組合活動に貢献した。
昭和42年に中区常盤町に移るまで、昭和37年から5年間、当店に隣接する西区戸部町7丁目226番地に組合事務所があり、専務理事退任後も組合活動に貢献した。
高度成長期の後半になると三種の神器(カラーTV・クーラー・自家用車)と言われるように家庭用クーラー(当時は冷風専用)の需要が伸び、各家電メーカーによる技術講習会などが開かれ、代理店契約などが行われるようになった。
当社においても亮三が東芝の技術講習会に参加、三菱電機冷熱住設機器サービス認定店となる
昭和33年 関東地区ナショナル電機製品有力販売店会議に参加
昭和36年度開催の神奈川県委託に依る第一回保安技術講習において全講義を修了。同年、第11回横浜市中小企業団体夏期大学講座課程を終了。
そのころから小売店からスーパーマーケットへと湘南地区で数店舗から20数店舗に躍進していく「やまかストア」の工事と設備施工を行うようになった。
昭和39年 神奈川県軍恩連盟西区支部理事となる同業者への技術指導も行い、丸石冷凍機、石附冷凍機、平吾設備を始め多くの設備施工業者に影響を及ぼしたが、その頑固で独特な教え方が今でも言い伝えられている。
昭和54年 社長から会長になる。
平成元年「神奈川県冷凍機工業協同組合創立30周年記念式典」では功労者表彰を受けた。
高度成長期やバブル期に財を成すも、その豪儀な性格のため蓄財することなく平成2年に永眠する
髙野サトは平成27年に亡くなるが、生前、㈱鷺ノ宮製作所の前社長より誕生日に花束が届いていた。前社長は工事の部材を1個、2個から買い求めに鷺ノ宮の営業所に足を運び、一時は代理店としてカタログに名を載せるまでになった当店の業績に故サトが貢献したことを忘れなかった。
【高野良夫】
昭和40年代 卒業後 「高野商店」に籍を置きながら、鷺ノ宮製作所で研修を受け、阿佐ヶ谷営業所に勤務し、一時、鷺ノ宮の代理店となる。
神奈川県冷凍機工業組合(現:神奈川県冷凍空調設備協同組合)の24期、25期の理事および青年部会の役員を務めた。
昭和55年慈子と結婚。慈子は富士ゼロックスに7年間勤めており、そこで学んだパーソナルコンピューターを導入し、経理、商品管理、在庫管理、をパソコンで管理できるようにした。
湘南地区に十数店舗あったやまかストアと年間保守契約を結び、店舗のデザインから設備施工まで一手に任された。
社員も増え男性2名、女性2名が正社員として入社してきた。
平成3年 株式会社高野商店となる
平成11年 4階建ての新社屋完成
平成12年 やまかストア経営人の交代により保守点検から撤退
平成13年 ホームページを作成
平成17年カード決済導入 当初はUC/マスターカードのみであったが翌年には楽天カード決済ができるようになり全てのカードが使用できるようになった。
平成18年 楽天ショップ「冷凍空調エアコン工具のメガストア」開設
㈱高野商店の名称を商法登録できなかったため 同業他社と区別化するため 平成24年 『クールストア』を商法登録するクールストア高野商店が屋号となる。それに伴い、新たにホームページを開設し通販サイト「クールストア通販館」をスタートした。
平成26年 横浜市建築局優良専門業者「配管部門」で表彰される
平成27年 会長となり現在に至る
蛇足だが慈子は神奈川県中小企業家同友会の女性部の発起人の1名、NPO法人横浜カーフリーデ―実行委員会(法人格になってからの)初代理事、情報サイト『ヨコハマNOW』のプロデューサー(無給)など当店を代表して地域のボランティア活動に参加している。
【髙野智弘】
平成27年 社長就任 現在に至る
建築設備業界が不況な中、あえて施工管理部門強化へと舵を切り、先代、先々代が開拓半ばで留まっていた顧客を繋ぎとめることができた。
その手腕は、店舗のデザインからインテリア、エクステリア、厨房、空調を一手に 引き受け、好評を得ている。
東京都の太田市場と足立市場の管理を委託される。
専務髙野真規がネットショップを強化し、自社サイト「クールストア通販館」楽天ショップをクローズする代わり、ヤフーとアマゾンに出店「冷凍空調エアコン工具のメガストア」開設。
カード決済を積極的に導入し、コーポレートカード決済を行う外資系の会社に販路を広げている。